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気持ちに合った服を着る。

ファッションよもやま話
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こんにちは、ひとえです。
今日は、ちょっとしんみりするかもしれない話です。

わたしは、おしゃれには気持ちをあげるパワーがあると信じています。
そうは言っても、いつもいつも気分を上げる必要もないとも考えています。

 

悲しいときには、暗い色の服を身につけたくなるのも、自然なこと。(もちろん、すべての人がそうするべき、ということではなくて。)

大事なのは、気持ちにあった装いをすること。

大きな悲しみがあったら、悲しみ切ることが必要

実は先月、15年間一緒に暮らしたうちの猫が天国へ旅立ちました。
生き物と暮らすってことは、たいていの場合、看取る側になるわけで、いつかは来るとわかってはいました。

それでもやっぱり悲しいものは悲しくて、しばらくはそのことを認めたくない気持ちがあったんだと思います。

実家の家族にも言えなかったし、ブログに書くことも出来ませんでした。

直後には子ども関係の行事なども立て込んでいて、泣いてばかりもいられずに、日々を過ごしていました。

でもね、普通に過ごそうとしてるし、過ごせているんだけれど(よその人から見た表面上は)、どうしても明るい色の服を着る気持ちにはなれないんです。

今日の予定的にも気温的にもこの服が最適!という服があっても、それが明るいピンクだったりしたら、どうしても着る気にはなれなかった。

 

代わりに、ここ数年あまり好んで着なかった黒やダークグレーの服を引っ張り出して着ることが増えました。

 

ちょっと気分が冴えない、くらいのときには、あえて気持ちを明るくするような色やデザインを選んで身に着けるのもいいと思うんです。

それで実際に気分があがると実感しているし、それがおしゃれのパワーだと思っています。

 

でも、大きな悲しみがあったら、それは無理やり立ち直ろうとしないで悲しみ切った方がいい、というのがわたしの考え。

そして、悲しみ切る、をする過程で、わたしの心に必要な事の一つが、暗い色の服を身に着けることなんだろうなぁ、、と、喪服の意味、みたいなことを体感している今日この頃です。

ちゃんと悲しむことを助けてくれるのも装い

暗い色の服を着ていると余計に落ち込むかといえば、そうでもありません。

なんというか、人って実質的にも服を着ることで身体を守るという意味があるけれど、心にあった服を着ることで心が守られているような気がします。

自然に当たり前に感じる感情を持っている自分を、そのまま認められるような。

無理しなくて大丈夫。

今は悲しいときだから、思う存分、悲しんでOK。と。

 

そんなこんなで、一気に寒さが増してくるこの頃、黒い帽子とアウターを買いました。

どちらもすごく気に入ったデザインだけど、今までならきっと、黒だから、という理由で買わなかったものたちです。

これこそ、一時の衝動買いとも言えるし、もしかしたら次の冬にはまた、黒だから、という理由で身に着けたくないくらいに、悲しみから回復しているかもしれません。

 

でも、それはそれでいいんです。

今の自分の気持ちに出来る限り近いものを身に着ける。

それって、とっても自然なことだと思うから。

 

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