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しばし別世界へといざなってくれる映画『めがね』

心に響く作品
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ひとときの間、日常から離れて今とは別の場所に行った気分になれる映画が観たい…

もしあたなが都会に住んでいて、そう望んでいるのなら…私は迷わずこの映画『めがね』をおすすめしたい。

観終わったあと、きっとあなたは独特の余韻に包まれるに違いない。そして時が経っても思い浮かべるだけで、しばし心のオアシスにいざなってくれるような映画、それが『めがね』だ。

ほかの誰かでも、ほかのどの場所でも、作れなかった映画

主演の小林聡子をはじめ、もたいまさこ、市川実日子、光石研など、荻上監督の一連のシリーズ作品に出演するキャストなくして、この独特の空気感は作り出せなかっただろう。そして撮影されたのが、与論島(よろんじま)でなかったとしたら、それでもまた、この作品は違うものになっていたに違いない。

 

心に残る多くの映画がそうであるように、『めがね』もまた、このキャストとこの場所だったからこその映画だ。

 

実は、私はこの映画を観た後、その空気を感じたい気持ちを抑えきれずに、与論島へ向かった。

当時東京に住んでいた私にとっては、驚くほどのあたたかさ(季節は冬だったのにも関わらず)、サトウキビの背の高さ、シーズンオフの海の穏やかさ、砂浜の白さ、そしてどこを歩いても人の姿が見えないこと…

この映画の中では、「たそがれる」という言葉が一つのキーワードになっているが、まさに「たそがれる」ためのすべてがそこにあった。

決して特別な旅好きという訳でもなく、どこかに逃げ出したい思いに駆られていた訳でもない私を、その遠い場所にどうしても行ってみたい!と強く思わせるものがこの映画にはあった。

私と同じように、この映画を観た後に与論島を訪れた人は決して少なくないはずだ。

前作『かもめ食堂』と『めがね』

『めがね』の前年に公開された荻上監督の『かもめ食堂』両作品とも同じく小林聡美を主役に配し、いわゆるシリーズものと言われるが、『めがね』は決して『日本版、かもめ食堂』ではないと感じる。その違いは、その撮影地と共に非日常性の有無が生んだのではないか?

 

どちらの作品も「何かあったであろう人たち」が登場し、だからと言って、何があったか詳しく語られる訳でもない。
ゆったりとした時間の中で登場人物たちが心のほころびを自然と修復したり、少しずつ変化していく。その様子が、観る人をも癒してくれる、という点は2つの作品で共通している。

 

『めがね』は南国の小さな島が(与論島は鹿児島県の最南端にある。)、そして『かもめ食堂』は北欧フィンランドの首都ヘルシンキが舞台になっている。『かもめ食堂』は街中にある食堂で、主人公はそこで「働いて」いる。異国とは言え、そこで描かれるのは「日常の暮らし」なのだ。

一方の『めがね』では、主人公がバカンスにきているという設定で話が進んでいく。特別なスケジュールもない休暇は、すべてが白紙。自由であり、非日常だ。もちろん一日「たそがれて」も居られる。

私たちは確かに完全なる自由時間に憧れを持っている。けれども実際に携帯の電波が届かないような場所で何日も過ごすことになったとしたら、時間を持て余す人も少なくないはずだ。

この物語の舞台そのものが(特に都会で慌ただしく暮らしている人にとっては、体験したことのない時間を過ごす場所として)「非日常性」を高めている。

 

非日常性が、しばし別世界へといざなってくれる

今ここの日常から遠いほど、物語の中で現実に引き戻されることが少ない。
そうしてどっぷりと身をゆだねられるからこそ、まるで実際に自分も旅をしてきたかのように、感じさせてくれる。

 

だからこそ観ている時だけではなく、時間が経った後も、この映画を思い浮かべると心がしばし休息できるような余韻に包まれる。

 

そして、その余韻をもっと確かなものにしたくて、あなたも与論島を訪れることになるかもしれない。

 

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